「存在についてはネギま!11巻で哲学研究会の発表会で少しだけ述べられています。
「ハイデガーによれば存在は存在者ではありません。つまり存在は存在しないというのです。しかし・・・ 」(ネギま!11巻引用)
しかしに続くようにここに記します。
しかし、人間にも鶏の卵にも形相という物があります。
形相とはそれが為すべきこと、あるいは正義、それその物が存在していることを証明する為のことがらです。
たとえば人間Aがサッカーをしていたとします。
けどサッカーをしていてもそれは存在の証明にはなりません。
何故なら人間Aから見ればサッカーをしていても、もしかしたらそれは夢かもしれないからです。
それを見ていた人から見てもそれは夢かもしれません。
さて人間にとっての形相は考える、あるいは感じることにあります。
何故なら、前述で述べた通り人間Aがサッカーをしていたことそのものは人間の形相ではありません。
ですがサッカーをしているということを頭で理解し、考えることが人間には出来るのです。
それが夢であってもそこに確かに考えていたという事実は永遠に残ります。
そこに確かに考えていたという事実が永遠に残るということは、そこに在ったということです。
つまり形相がある限り、人間や鶏の卵は存在するのです。
そして人間や鶏の卵が存在することによって、存在が存在するのです。
もし本当に存在が存在しなければ、宇宙など生まれてこないのですから。
何故なら存在が存在しなければビッグバン以前の無の世界には時間すら存在しません。
永遠に止まったままの世界です。
時間は別じゃないのかという反論があると思いますが、物質が光に近い速度で移動すれば移動している物質の個体の空間だけ時間の流れが速くなります。
つまり時間も何らかの力によって変化させることが可能です。
力によって少しでも変えることが出来るということは、ほかの物質と何ら変わりのないことです。
ということで存在が存在しなければ、時間も存在せず、ずっと止まったままの世界なのです。
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